社員から提出された退職届。しかしその後、「やはり退職を撤回したい」と申し出があった場合、企業はどのように対応すべきなのでしょうか。対応を誤ると、労働紛争や法的リスクに発展する可能性もあるため、慎重な判断が求められます。
本記事では、退職届の撤回が法的に認められるケースとそうでないケースを明らかにしながら、企業がとるべき対応指針を専門的な視点から解説します。
また、退職の意思表示の法的性質や、撤回を拒否した場合のリスクについても詳しく触れていきます。労務管理を担当する企業担当者の方は、トラブルを未然に防ぐためにも、ぜひ参考にしてください。
退職届と退職願の違い解説
退職に関連する書類として混同されがちな「退職届」と「退職願」ですが、この2つには明確な法的・実務的な違いがあります。企業として正確に理解しておくことで、対応を誤るリスクを減らすことができます。
「退職届」と「退職願」それぞれの法的意味
| 項目 | 退職届 | 退職願 |
|---|---|---|
| 法的性質 | 一方的な意思表示 | 労働契約の解約申込み |
| 効力発生のタイミング | 提出した時点で有効(原則撤回不可) | 企業が承諾した時点で成立 |
| 撤回の可否 | 原則として不可(例外的に可能な場合あり) | 承諾前であれば撤回可能 |
| 使用される場面 | 自主的な退職意思の確定 | 依願退職・会社との協議を前提とする退職 |
| 企業の対応 | 形式的に処理を進めることが多い | 内容や事情を確認のうえ判断 |
つまり、「退職届」は一方的な通知、「退職願」は承諾を前提とした申請という性質があります。この違いが、後の対応や法的リスクに大きく影響を及ぼします。
撤回可能性の違いと企業の判断基準
退職届と退職願では、撤回の可否に明確な差があります。企業は以下のような観点から対応を判断すべきでしょう。
- 退職届が提出された場合
- 原則として撤回は認められず、企業は退職手続を進めて差し支えありません。ただし、提出後すぐに撤回の申し出があった場合や、強要・錯誤が認められる事情がある場合には例外が生じる可能性もあります。
- 退職願が提出された場合
- 企業がまだ承諾していない段階であれば、撤回を受け入れることが可能です。したがって、企業はその時点の意思表示の内容と承諾状況を慎重に確認する必要があります。
対応を間違えると、退職トラブルや不当解雇の訴訟に発展しかねないため、書類の名称だけでなく、内容や経緯にも着目して判断することが重要です。
企業目線:撤回依頼があった場合の初期対応
社員からの退職撤回の申し出は、感情的な側面や人間関係にも影響を及ぼすため、企業としては冷静かつ客観的な対応が求められます。法的リスクを回避し、社内トラブルを未然に防ぐためにも、初動対応は極めて重要です。
撤回請求の受付窓口と記録化の重要性
まず重要なのは、撤回の申し出を誰が、どのように受け取ったのかを明確にすることです。以下の点に留意しましょう。
- 受付窓口の明確化:人事部門や直属の上司など、対応すべき担当者を社内で明文化しておく。
- 書面やメールでの記録:口頭のみの申し出では、後のトラブル時に証拠が残らずリスクが高まります。必ず書面またはメール等で記録を残すこと。
- 受領日時・経緯の記録:誰がいつ、どのような内容で受け取ったかを客観的に記録し、共有できる仕組みを整備する。
このような記録化によって、後々の紛争を未然に防ぎ、企業としての説明責任を果たすことができます。
撤回受理を決める判断基準(合意退職/自主退職の分岐)
撤回の受理可否は、退職の種類によって判断が分かれます。企業側が以下の観点で整理しておくことが不可欠です。
| 項目 | 退職願 | 退職届 |
|---|---|---|
| 成立条件 | 企業の承諾があって初めて成立 | 労働者の一方的意思表示で成立 |
| 撤回の可否 | 企業の承諾前であれば撤回可能 | 原則として撤回不可 |
| 撤回受理の判断基準 | 承諾の有無・撤回理由の妥当性・業務影響など総合判断 | 錯誤・強要等があるか(例外的事情の有無) |
| 実務上の対応 | 面談・確認を経て判断、記録の整備が重要 | 自由意思での提出かを慎重に確認、証拠の保全 |
以上のように、退職の性質とその背景事情を総合的に判断し、法務部門や社会保険労務士等と連携して対応を進めることが望ましいでしょう。
ケース別:撤回可能な場面と法的根拠
退職の撤回が可能かどうかは、退職の種類や提出時の状況によって大きく異なります。ここでは具体的なケースに基づいて、撤回が認められる可能性とその法的根拠を解説します。企業として正しい対応を取るために、判例やリスクも含めて理解を深めましょう。
合意退職(依願退職)で人事承認前の撤回事例
合意退職、いわゆる「退職願」の提出は、あくまで企業との合意により成立する退職形態です。人事や経営層による正式な承認が行われていない段階であれば、従業員側が一方的に撤回することが可能とされています。
- 法的根拠:退職の意思表示がまだ承諾されていない以上、「契約の申し込み」段階に過ぎず、民法上は自由に撤回できる。
- 実務上の対応:承認前の撤回申し出に対しては、原則として受理を拒むことはできません。ただし、口頭でのやり取りなど曖昧な経緯がある場合は、証拠の明確化が求められます。
このように、合意退職の場合には撤回の自由が比較的広く認められますが、その判断には「承認の有無」が極めて重要なポイントとなります。
自主退職の撤回は原則不可とされるケース
自主退職、つまり「退職届」の提出は、労働者からの一方的な意思表示であり、原則として撤回は認められません。しかし、例外的に法的に無効とされる場合も存在します。
労働者側の錯誤
新入社員のAさんは、業務中に上司から「このままでは試用期間の延長もあり得る」と告げられ、自分が会社に必要とされていないと強く思い込んでしまいました。動揺したAさんは、その日のうちに退職届を提出。しかし後日、上司からの発言は業務指導の一環であり、実際には解雇を検討していなかったことが判明しました。
このように、誤解や勘違い(錯誤)に基づいて提出された退職届は、意思表示の無効を主張できる余地があります。特に心理的圧迫のある状況下での提出であれば、撤回が認められる可能性も高まります。
企業側は、社員の提出意思が自由意思であったかどうかを慎重に確認する必要があります。
従業員からの訴訟リスクへの備え方
撤回を拒否した場合、従業員が不当解雇や不当な意思表示の取り消しを主張して訴訟を起こすリスクがあります。企業としては、以下の備えが重要です。
- 提出時の経緯を記録する:誰が、いつ、どのような状況で退職届を提出したかを記録。
- 面談内容の記録・同席者の配置:口頭でのやり取りも含めて書面化し、複数人で確認する体制を整える。
- 法務部門や社労士への事前相談:紛争リスクがある場合は、判断前に専門家へ相談すること。
退職の撤回をめぐる対応を誤れば、労使紛争や社会的信用の低下に直結しかねません。企業は実務と法的リスクを正確に理解し、慎重な対応を心がけることが求められます。
企業として撤回を認めない場合のリスク管理
退職の撤回を企業が認めないと判断した場合でも、その決定に対して労働者からの反発や法的対応が生じる可能性は十分にあります。
特に、手続きや記録が不十分な状態で強硬に進めた場合、労働審判や訴訟に発展しかねません。ここでは、企業がとるべきリスク管理の基本を解説します。
労働審判・訴訟リスク・復職要求への対応
退職撤回を拒否された労働者がとり得る法的手段としては、以下が挙げられます。
- 労働審判申立て:簡易・迅速に労使紛争を解決する制度であり、復職や損害賠償を求めるケースが見られます。
- 民事訴訟:退職意思の不存在や無効を理由に、地位確認や未払い賃金の請求がなされることもあります。
- 復職要求:裁判所が退職無効を認めた場合、企業は原職復帰に応じる義務を負う可能性もあります。
これらのリスクに備えるには、「退職の意思表示が真意に基づいたものであったこと」を企業側が立証できる状態を整えておくことが極めて重要です。
企業側の証拠保全(退職合意書・退職届受理記録など)
撤回を拒否する場合、後々の紛争に備えて以下の証拠を確実に残しておくことが求められます。
- 退職合意書(合意退職の場合):退職の理由、時期、手続きの詳細を記した書面を、労働者本人の署名付きで保管。
- 退職届の原本と受理記録(自主退職の場合):提出日・受理日・受け取った担当者・提出時の状況を詳細に記録。
- 面談記録や音声記録(任意で):特に退職が感情的な経緯による場合、第三者の同席記録なども有効です。
- 社内での意思確認文書(メール・社内メッセージなど):退職の意思が本人の自由意思であることを示す資料。
これらの文書は、労働審判や訴訟において企業が防御的立場をとる際の強力な証拠となります。対応が曖昧であるほど、企業に不利な判断が下されるリスクが高まるため、日頃から文書管理と手続きの透明化を徹底しておくことが求められるでしょう。
撤回に応じる場合の適切な対応フロー
企業が退職の撤回を受け入れることを決めた場合でも、その対応は慎重かつ丁寧に行う必要があります。曖昧なまま復職を許すと、社内の秩序や他社員との信頼関係に悪影響を及ぼす恐れがあります。ここでは、撤回受理時に企業が取るべき対応フローを段階的に解説します。
従業員の申し出内容・理由を確認する方法
まず、従業員の撤回申し出に対して、その背景や意思の真意を把握することが重要です。以下のような方法で確認を行いましょう。
- 個別面談の実施:直属の上司や人事担当が同席し、冷静な環境で理由を聞き取る。
- ヒアリングシートの活用:撤回理由を文書で提出させることで、記録としても機能。
- ストレスチェックや産業医面談の併用:精神的・健康的要因が関与している場合、専門的サポートを検討。
真意の確認は、後のトラブル防止と職場復帰後のフォローにも直結するため、感情論に流されず、事実ベースで対応する姿勢が求められます。
撤回を受理する際の書面手続き・社内展開
撤回を正式に受け入れる際には、社内文書と手続きを明確に行うことで、組織としての整合性を保ちましょう。
- 撤回届の提出:従業員から「退職撤回届」または「退職意思取消届」を提出させ、署名・日付を明記。
- 受理通知書の発行:企業側として撤回を受理した旨を文書で通知し、記録に残す。
- 社内通達・業務再配置の調整:関係部署には撤回の事実と今後の配置・業務内容を適切に共有する。
これにより、撤回を巡る誤解や職場内の混乱を最小限に抑えることが可能となります。
受理後のフォローアップと信頼回復施策
撤回を受理した後は、当該従業員との信頼関係を再構築し、職場に円滑に戻れるよう支援することが大切です。
- 上司・同僚との関係修復支援:面談やチームミーティングを通じて、職場内のコミュニケーションを再構築。
- 定期面談・フォローアップ体制:一定期間は人事がフォローを行い、不安や課題の早期把握に努める。
- 再発防止・キャリア支援策の導入:同様の事態を防ぐため、相談窓口やキャリア開発支援制度を整備。
撤回受理は単なる「戻す」行為ではなく、信頼と秩序を回復するための総合的な取り組みとして捉えることが、企業にとっても従業員にとっても望ましいと言えるでしょう。
実務上の注意点と予防策
退職届の撤回を巡るトラブルは、企業の対応や制度整備が不十分なことに起因する場合が多くあります。予防的な観点から、日常の労務管理のなかでルールやフローを明確化しておくことが、リスク回避の鍵となります。
就業規則・退職規定の整備と周知徹底
まず、企業として必ず整備しておくべきなのが、就業規則や退職に関する社内規定です。これらの文書において、退職意思の取り扱いや撤回可否を明確に規定しておくことで、判断基準が曖昧になるのを防げます。
- 退職届・退職願の定義の明文化
- 退職の成立時点(提出時/承認時)に関する明記
- 撤回に関する規定(受付条件・手続き)
- トラブル時の対応窓口や相談体制
さらに、規則を作るだけでなく、社員への周知徹底も不可欠です。入社時や定期研修などを通じて説明を行い、全従業員が制度の存在と内容を理解できる体制を構築しましょう。
退職届提出前の事前面談や確認プロセスの強化
退職トラブルの多くは、提出の背景や動機が曖昧なまま受理されてしまうことから始まります。
これを防ぐためには、提出前に一定の確認プロセスを挟むことが有効です。
- 提出前の事前面談:直属の上司や人事担当との面談を必須化し、退職理由や本意かどうかを確認。
- 確認書類の導入:退職届提出の意思が明確であることを確認するチェックリストや確認書の活用。
- 冷却期間の設定(社内規定):感情的な退職申出に対する一時的な猶予期間を定め、冷静な判断を促す。
こうした予防的措置を講じることで、従業員にとっても企業にとっても無用な混乱や法的リスクを避けることができるでしょう。トラブルが起きる前に、組織としての仕組みを見直し、強化しておくことが重要です。
まとめ:退職届の撤回対応は「準備」と「判断基準」がカギ
退職届の撤回をめぐる対応は、企業にとって法的リスクや社内秩序への影響を伴うデリケートな問題です。撤回が可能かどうかは「退職届」と「退職願」の違いや、提出時の状況によって異なり、対応を誤れば訴訟や復職要求に発展する可能性もあります。
企業が取るべき対応としては、以下のポイントが重要です。
- 「退職届」と「退職願」の違いを理解し、それに応じた初期対応を徹底すること
- 撤回申し出時の記録化と意思確認を確実に行うこと
- 撤回を受け入れる場合は、文書手続きと社内調整を丁寧に行うこと
- 撤回を拒否する場合には、証拠の保全と法的対策を準備すること
- 平時から就業規則や退職制度を整備し、予防体制を整えておくこと
退職撤回への対応は、その場しのぎではなく、企業全体の労務体制の質が問われる局面でもあります。法令と実務の両面から備えを強化し、従業員との信頼関係を損なわない対応を心がけましょう。
この記事の執筆者

- 社会保険労務士法人ステディ 代表社員
その他の記事
ニュース一覧2026.01.19生涯設計手当とは?導入時に人事担当者が失敗しないための実務を解説
ニュース一覧2026.01.15深夜手当計算の正しい方法とよくあるミス【人事・労務担当者必見】
ニュース一覧2026.01.13休職中に給与は支払う必要がある?会社が知るべき法律・実務対応を徹底解説
ニュース一覧2026.01.12社会保険上の扶養とは?税法上の扶養との違いを企業向けにわかりやすく解説