残業をめぐるトラブルは、「命令をした・していない」「申請がある・ない」といった認識の食い違いから始まるケースがほとんどです。
上司としては指示したつもりはなく、部下としては業務上やむを得ず残っただけ。その結果、残業代の扱いや指導の仕方をめぐって、後から問題が表面化することも少なくありません。
特に悩ましいのが、上司の指示がないまま発生する残業や、残業申請を出さない部下の存在ではないでしょうか。役職によっては労務管理に関与している立場の方もおられると思いますが、「これは残業命令に当たるのか」「申請していない以上、会社としてどう扱うべきなのか」と判断に迷う場面も多いでしょう。
この記事では、残業命令の基本的な考え方を押さえたうえで、上司の指示なし残業や申請しない部下をどのように整理し、実務でどう対応すべきかを分かりやすく解説します。
現場でありがちな誤解や、見落としやすいリスクを整理しながら、トラブルを防ぐための実践的な視点をお伝えしますので、ご参考になれば幸いです。
そもそも残業命令とは?
「残業命令」と聞くと、上司が明確に「今日は残って」と指示した場面を思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、労務管理の実務や判例の考え方では、残業命令は必ずしも明示的な言葉によって出されるものだけを指すわけではありません。
ここを誤解したまま運用していると、「指示していないから残業ではない」「申請していないから残業代は不要」といった認識ズレが生じ、後にトラブルへ発展する可能性がありますので、まずは残業命令について確認していきましょう。
残業命令の定義と成立する条件
残業命令とは、会社が労働者に対し、所定労働時間を超えて労働することを業務として求める行為を指します。
重要なのは、形式ではなく実質です。書面や口頭で明確に命じていなくても、業務上の必要性があり、会社の指揮命令下で行われていれば、残業命令が成立すると判断される場合があります。
実務上は、「その業務を時間内に終えることが現実的だったか」「残業せざるを得ない状況を会社が把握していたか」といった点が判断材料になります。
そのため、単に本人が自主的に居残ったという主張だけでは、必ずしも残業命令が否定されるわけではありません。
「明示の命令」と「黙示の命令」の違い
残業命令には、大きく分けて明示の命令と黙示の命令という考え方があります。
前者は「この資料を今日中に仕上げて」「終わるまで残って対応して」といった、誰が見ても分かる指示です。一方、黙示の命令は、表立った言葉はないものの、業務量や納期、上司の言動などから、残業が事実上前提となっているケースを指します。
たとえば、明らかに時間内では終わらない業務を割り当てながら、何の調整も行わない場合や、部下が連日遅くまで残っていることを認識しながら是正しない場合などは、黙示の残業命令と評価される余地があります。
業務上の必要性が判断基準になる理由
残業命令の有無を判断する際、最も重視されるのが業務上の必要性です。
会社の業務遂行に不可欠な作業であり、期限や品質の観点から残業が避けられない状況であれば、たとえ上司が「残業しろ」と言っていなくても、実質的には会社の業務命令と捉えられやすくなります。
このため、「命令していない」「申請が出ていない」という形式論だけで判断するのはリスクが高いといえます。残業命令の考え方を正しく理解することが、未申請残業や無断残業の問題を整理する第一歩になります。
上司の指示なしで行う残業は残業命令に当たるのか
残業に関するトラブルで特に多いのが、「上司の指示はなかった」という主張。
部下は「仕事が終わらなかったから残った」と考え、上司や会社側は「命令していないので残業ではない」と認識している。このズレが、未申請残業や残業代請求問題の火種になります。ここでは、指示がない残業がどのように評価されるのかを整理していきましょう。
指示がなくても残業命令と判断されるケース
上司の明確な指示がなくても、残業命令があったと判断されるケースは少なくありません。
代表的なのは、業務量と時間配分が明らかに不合理な場合です。定時内に終わらない業務を割り当て、期限の調整やメンバー調整も行わない状況では、残業は事実上前提となります。
また、部下が継続的に残業していることを上司が把握していながら、「早く帰れ」「業務を調整する」といった是正措置を取らない場合も注意が必要です。黙認が続けば、「会社として残業を容認していた」と評価され、結果として残業命令があったと扱われる可能性があります。
自主的残業・自己判断残業とされるケース
一方で、すべての指示なし残業が残業命令になるわけではありません。
業務がすでに完了しているにもかかわらず、本人の都合や自己満足のために残っていた場合や、業務と直接関係のない作業を行っていた場合などは、自主的残業と判断されやすくなります。
また、会社が明確に「残業は禁止」「事前申請がなければ認めない」と周知し、実際に管理も行っているにもかかわらず、それを無視して居残っていたケースでは、残業命令の成立は否定されやすい傾向があります。
ポイントは、会社側の管理体制と注意喚起が形だけになっていないかどうかです。
管理職の認識不足が招くトラブルも
実務で問題になりやすいのは、管理職自身が「言っていないから大丈夫」と考えてしまう点です。
しかし、業務配分や進捗管理を行う立場にある以上、結果として残業が常態化していれば、その責任を問われる可能性は否定できません。
上司の指示がなかったかどうかだけで判断するのではなく、「なぜその残業が発生したのか」「防ぐ手段はなかったのか」という視点で見直すことが重要です。
ここを曖昧にしたままにすると、次に扱う「残業申請しない部下」の問題とも絡み合い、より深刻な労務トラブルへ発展していきます。
残業申請しない部下の行動は問題になる?
上司の指示がないまま残業が発生する職場では、「そもそも残業申請を出していない部下にも問題があるのではないか」という疑問をお持ちの方もおられると思います。
確かに、申請ルールを無視した行動は組織運営上の問題になり得ます。ただし、申請していないことと、残業として扱われるかどうかは、必ずしも同じ話ではありません。この違いを整理しておかないと、判断を誤ることになります。
残業申請をしない理由に多いパターン
残業申請をしない部下の行動には、いくつか典型的な背景があります。忙しさの中で申請手続きを後回しにしてしまうケースもあれば、「申請すると人事評価が下がるのではないか」「上司に嫌がられるのではないか」といった心理的な理由も少なくありません。
また、過去に申請を却下された経験があると、「どうせ認められない」と考え、最初から申請を諦めてしまうこともあります。
こうした状況が続くと、形式上は未申請でも、実態としては常態的な残業が発生している職場になりがちです。
未申請でも残業として扱われる可能性
労務管理の観点では、残業申請が出ていないからといって、直ちに残業扱いを否定できるわけではありません。業務上の必要性があり、会社の指揮命令下で行われていれば、未申請であっても労働時間として評価される可能性があります。
そのため、「申請していないのだから残業代は払わない」という対応は危険です。
申請ルール違反として指導や注意を行うことと、実際に働いた時間に対する賃金の支払いは、切り分けて考える必要があります。
申請ルール違反と賃金不払いは別問題
残業申請をしない行為は、社内ルール違反として注意や指導の対象になります。
しかし、それを理由に残業代の支払いを拒否することは、別の問題です。賃金未払いと判断されれば、後からまとめて請求されたり、労働基準監督署の是正対象になる可能性もあります。
実務上は、「申請しなかったこと自体は指導する」「働いた事実がある時間は労働時間として扱う」という整理が不可欠です。この切り分けができていないと、会社側の対応が感情論に寄り、トラブルを拡大させる結果につながります。
未申請残業・無断残業における会社側のリスク
未申請残業や無断残業は、「ルールを守らない部下の問題」として片付けられがちです。
しかし、労務管理の視点では、会社側の管理責任が問われる場面も少なくありません。放置や対応の誤りが積み重なると、想定以上に大きなリスクへ発展する可能性があります。
残業代請求トラブルに発展するケース
最も典型的なのが、後から残業代を請求されるケースでしょう。残業申請がされていなくとも、業務上の必要性があり、実際に労働していた事実が確認できれば、残業代の支払い義務が認められる可能性があります。
特に、長期間にわたって未申請残業が常態化している場合、数か月分、場合によっては数年分の残業代をまとめて請求されることもあります。
この段階になると、「申請していなかった」「勝手に残っていた」という主張は、十分な反論材料にならないことが多いのが実情です。
労務管理上の責任はどこにあるのか?
未申請残業や無断残業が発生した場合、部下本人のルール違反は確かに問題です。
ただし、労働時間を適切に把握・管理する責任は、原則として会社側にあります。部下任せの管理や、実態を把握しない姿勢は、それ自体が問題視されます。
管理職が業務量や進捗を把握していなかった、あるいは把握していながら是正しなかった場合、「管理不十分」と評価される可能性は否定できません。結果として、会社側の責任がより重く問われることになります。
記録がない残業が問題視される理由
未申請残業が厄介なのは、労働時間の記録が曖昧になりやすい点です。
タイムカードや勤怠システム上は打刻がなくても、メール送信履歴や社内システムのログなどから、実際に働いていたことが推認されるケースもあります。
記録が整っていない状態では、会社側が不利な立場に立たされやすくなります。「記録がないから残業ではない」と主張するよりも、「なぜ記録が取れていなかったのか」という管理体制そのものが問われるからです。未申請残業を放置することは、見えないリスクを積み上げているのと同じだと言えます。
管理職・会社が取るべき実務対応
未申請残業や上司の指示なし残業の問題は、「部下に注意すれば終わり」という話ではありません。
場当たり的な指導を繰り返すだけでは、同じ問題が形を変えて再発します。重要なのは、残業が発生する前提そのものを見直し、管理職と会社が一体となって実務対応を整えることです。
残業命令と申請フローを明確にする
まず取り組むべきは、残業命令の出し方と申請フローの明確化です。
「誰が」「どのタイミングで」「どのように」残業を認めるのかが曖昧な職場では、未申請残業が発生しやすくなります。
事前申請を原則とするのであれば、緊急時や突発対応など、例外的に事後申請を認める条件もあらかじめ定めておく必要があります。ルールが現実に合っていないと、守られなくなるのは時間の問題です。
部下が勝手に残業しない職場づくり
「勝手に残る部下」をなくすには、単に禁止を伝えるだけでは不十分です。
業務量と人員配置、締切設定が現実的かどうかを点検することが欠かせません。定時内に終わらない業務設計のままでは、残業を禁止しても形骸化してしまうでしょう。
また、管理職自身が早く帰りづらい雰囲気を作っていないかも重要な視点です。上司が常に遅くまで残っている職場では、部下が帰りにくくなるのは自然な流れです。行動で示すことが、最も効果的なメッセージになる場合もあります。
注意指導を行う際の適切な伝え方
未申請残業が発覚した場合、感情的に叱責するのは逆効果です。
「なぜ申請しなかったのか」「どこで業務が詰まっていたのか」といった背景を確認し、改善策とセットで指導する姿勢が求められます。
また、「次からは申請しないと認めない」と伝えるだけでなく、「申請しやすい状況を作る」という視点も欠かせません。申請=悪いこと、という空気がある限り、ルールは守られません。管理職の対応次第で、未申請残業は確実に減らすことができます。
トラブルを防ぐために整備すべき社内ルール
未申請残業や指示なし残業の問題は、個別対応だけでは限界があります。
現場の判断に委ねすぎると、対応にばらつきが生じ、「あの部署はOKだった」「前は注意されなかった」といった不満や混乱を招きます。トラブルを未然に防ぐためには、実態に即した社内ルールを整備し、継続的に運用することが欠かせません。
残業申請ルールと例外対応の考え方
残業申請ルールは、明確であると同時に、現場で使えるものでなければ意味がありません。事前申請を原則とする場合でも、突発的な顧客対応や障害対応など、どうしても事前申請が難しい場面は存在します。
そのため、「事後申請を認める条件」「申請期限」「承認権限者」を具体的に定めておくことが重要です。例外を一切認めないルールは、守られなくなりやすく、結果的に未申請残業を増やす原因になります。ルールの厳しさよりも、現実との整合性が優先されるべきです。
口頭指示・チャット指示の扱い
近年は、口頭だけでなく、チャットツールやメールで業務指示が行われる場面も増えています。このとき、「それが残業命令に当たるのかどうか」が曖昧なままだと、後から認識の食い違いが生じます。
「終業後の対応を依頼する場合は、必ず残業申請とセットで行う」「チャットでの依頼も正式な業務指示として扱う」など、指示の方法と労働時間管理を結びつけて整理しておくことが重要です。指示の形式によって扱いが変わる状態は、トラブルの温床になります。
運用と実態を乖離させないポイント
どれだけ立派な社内ルールを作っても、運用が伴わなければ意味がありません。
定期的に残業時間や申請状況を確認し、「ルールが守られていない理由」を点検することが必要です。
ルール違反が多発している場合、問題は個人ではなく、制度設計そのものにある可能性もあります。現場の声を拾いながら微調整を重ね、形だけのルールにしないことが、結果的に労務トラブルを防ぐ最短ルートになります。
残業トラブルを防ぐために押さえるべき視点
残業命令の有無は、「上司が言ったかどうか」だけで単純に判断できるものではありません。
上司の指示がなくても、業務量や納期、管理状況次第では、実質的に残業命令が成立するケースがあります。また、残業申請をしていない部下がいたとしても、その事実だけを理由に残業そのものを否定したり、残業代の支払いを拒否したりすることは、大きなリスクを伴います。
重要なのは、申請ルール違反と労働時間の評価を切り分けて考えること、そして未申請残業が発生する背景に目を向けることです。管理職の認識不足や、現実と乖離した社内ルールが放置されていれば、同じ問題は何度でも繰り返されます。
残業命令の考え方、指示なし残業の扱い、申請しない部下への対応を正しく整理し、業務設計・管理体制・ルール運用を見直すことが、結果的に会社と従業員双方を守ることにつながります。感情論や形式論に流されず、実態に即した労務管理を行うことが不可欠です。
残業や労務管理の判断に不安がある場合は、自己流で対応せず、専門家や社労士に一度相談することをおすすめします。
早い段階で整理しておくことで、無用なトラブルやコストを防ぐことができます。自社の運用が問題ないか、この機会にぜひ見直してみてください。
この記事の執筆者

- 社会保険労務士法人ステディ 代表社員
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